最寄りの鉄道駅からやけに歩いたところに、その町はあった。
今日も蒸し暑い。日差しで体力が根こそぎ持って行かれそうだ。そんな中で特に暑そうな格好をした姿が見えた。こちらに気づいて、ファインダーが走り寄ってくる。
「――ラビ様!」
「よっす、お疲れさん」
「お待ちしておりました。こちらです」
案内されたのは赤煉瓦の印象的な家だった。町の中では比較的裕福な部類に入るのだろう、ファインダーがドアを開けると家の使用人に恭しくお辞儀される。白いエプロンを身につけたその女性はすっかり白髪だったが、その物腰からまだまだ現役なのだとわかった。
「遠路はるばるお越しくださり誠にありがとうございます。数日前にエクソシスト様が既に一人いらっしゃっているのですが、」
「うん、難航してるからって、オレが呼ばれたんだよね」
「……はい。先のご主人は謎解きの類いが大層お好きでいらしたので。性格はいたって気さくな方でしたが、どうも謎解きとなると、お年を召すごとに難しいものばかり追求されるようになりまして……。生前は私たちにも気まぐれに問いを出してくださったのですが、誰一人答えたことはありませんでした。エクソシスト様が難儀なさるのももっともかと」
通された部屋の壁は一面本棚で埋め尽くされていた。ぱっと見たところ、読んだことのないタイトルばかりだ。
そして中央に1つだけ置かれた、おそらくヴィンテージものの肘掛け椅子には、久しく見ていなかった黒髪の君の姿。
思わず口元を緩め、ラビは後ろから声をかけた。
「よお、ユウ」
だが彼から返事はない。
正直、ラビはまるでご褒美のように目の前に鎮座する蔵書たちに対する喜びよりも、彼に無視された落胆の方が大きかった。隣のファインダーがこっそりとラビに耳打ちする。
「ずっとこんな感じでして……どうやらイノセンスと問答が出来るのは一人だけのようなのです」
「あの椅子に座ると対決できるってわけね」
ゲルマン系の顔をした彼は神妙な面持ちで頷いた。
「私たちの声もノイズとして扱われているらしく、エクソシスト様のご意志でしかこちらに戻ってこられないようで。……その、肩を叩いてみたりしたのですが」
「じゃあこんぐらいならどうかな?」
ラビはそう言って後ろから彼の肩に両手を乗せると、思い切り神田の体を揺さぶった。
結果、彼は顎にアッパーを決められた。
気を取り直して、ラビはようやく神田と正面からご対面を果たした。
久しぶりの再会だというのに、神田の機嫌はすこぶる悪かった。
「……来たのか」
どうやら、イノセンスとの問答で相当フラストレーションが溜まっているらしい。
「……やってられっか、こんなの」
「うん、まぁ、ユウは体動かす方が得意だもんね」
「馬鹿にしてんのか、テメェ」
一際低くなった声に現れた神田の苛つきを適度に受け流して、ラビは立ち上がるとにこりと笑ってみせる。
「人には向き不向きがあるってことさ。ま、オレに任しとき」
そして、数時間後。
ファインダーから電話を取り次ぎ、ラビは受話器を耳に押し当てた。
「コムイ、オレさ」
「やあ。電話してくれたということは、任務は無事終わったのかな?」
「まぁなー。援護っていうから今度はどんなハードなもんかと思ったら、なんか拍子抜けだったさ」
ラビの言葉に、コムイが電話越しにクスリと笑ったのが聞こえた。
「でもほら。今日と明日神田くんと一緒にいられて嬉しいでしょ?」
「オレを子供だと思ってからかってるわけ? もう、そんな年でもないさ」
「またそんなこと言って。今年もパーティーするみたいだし、早く帰っておいで」
* * *
その晩、エクソシスト様のお部屋です、と通されたのは階段を上がった二階の二部屋だった。自分の分はないだろうと踏んでいたラビにとっては少し意外だった。
「オレが来ること決まったの急だったのに、わざわざ用意してくれたんさね」
「ええ、同じ部屋で窮屈な思いをさせるわけにもいきませんので…ただ、その」
使用人の女性はそこまで言って、続きを少し躊躇したようだった。
「――失礼ながら、まさかエクソシスト様がこんなにお若いとは思っていなくて…」
「ああ。まあ、そうだよね。こんな若造とはね」
ラビのその反応にさらに困惑したのか、使用人はどうぞごゆっくりお休みください、たいしたおもてなしも出来ませんが、と慌てたように言い切って、その場を辞した。
「さて、と……」
ここ数日の任務続きから、久しぶりに一人の時間を手に入れた気がする。
ラビは部屋を眺め歩き、丁寧に磨かれた窓から町の様子を眺めた。
――年頃のラビに言わせれば、どれもリアリティがない。近所の人と井戸端会議をしている女性たちも、楽しそうに母親の周りを駆け回る子供も、皆嘘偽りを演じているかのように見える。けれども目の前の人々の毎日の営みは真実で、自分はそれを記録する立場なのだ。今日までも、そして、明日からも。
ラビはそっと眼帯の上から片方の目を触った。
黒の布地は少しざらざらする。上から下へと少しずつずらしていって、縫い目まで来た。そこから少し指を潜らせると、――そこは、誰にも見られてはいけない領域。
これは、自分がまだ半人前の証拠だ。そしてこれを外すとき、自分はいったいどうなっているのか……
コンコン
ラビははっと我に返り、そして同時に少し期待した。
けれど聞こえてきたのは望んだ声ではなかった。
「明日の鉄道のチケットを手配しました。ただ、駅まではここから少し歩くようです」
「……ああ、ありがと」
扉の外のファインダーにいつも通り返事をして、ラビはそっと右手を外した。
* * *
翌日も、夏らしいといえば夏らしい、茹だるような暑さだった。
「ホントにこの道で合ってるんさ?」
「ええ、”これ”を突き抜ければ見えてくるはずですよ」
「これを突き抜けるんか……いや、綺麗だけど」
歩くだけで体力を消耗するこの日差しでは、少しの弱音なら許されるだろう。早く鉄道の席に座って一息つきたいところだが、目的の鉄道の駅はまだ見えてこない。
その代わりに、彼の目の前に広がるのは、見渡す限りの黄色、黄色、黄色。
まるで終わりがないかのように見えるヒマワリの群生地に足を踏み入れ、ラビと神田、ファインダーの三人はしばし無言で歩を進めた。
太陽を愛する集団は自分らよりも優に数十センチは背が高く、彼らに囲まれると危うく前の人物を見失ってしまいそうになる。歩行者用の道が確保されているのがありがたい。
――教団で迎えていれば、きっと今頃ジェリーのケーキが食べられていただろう。
(まあでも、今日こんな景色が見られたのはラッキーかな)
無理矢理納得させてみても、やはり自分の気持ちが落ち着かない。
周りを眺めることもせずスタスタと歩いていってしまう神田を後ろから追いかけながら、ラビは努めてなんでもないように言った。
「あー、そういえば、今日オレ実は誕生日なんだよねー」
彼の返答は清々しいほどに彼らしかった。
「……それがどうした」
(用意してなくてごめんとか、そういうのは期待してないけど、やっぱね)
その神田が突然足を止めて振り返るものだから、ラビも驚いてその場に立ち止まった。
その反応にムッとした様子で神田はわざわざラビの目の前まで戻ると、「ん」と無造作に包みを突き出す。
「え、え?」
「この間帰った時にリナリーに言われた。で、町連れ回された」
「……まじで?」
中身はペンダントだった。光に反射して、埋め込まれた赤い宝石が光り輝いている。
「これ、ユウが選んでくれたの?」
「……最後のふたつまで絞ったのはリナだ」
あまりの衝撃に、うまく言葉が出てこない。
とりあえず、つけてみた方が良いだろうかとコネクト部分を探すが、しかしそのチェーンは、ものの見事に絡まっていた。
(きっとユウ、鞄に入れて振り回したんだろうな)
きっとこの程度であれば、後で車内で少し時間をかければ、手先の器用なラビならほどける。
神田は珍しく、少しバツの悪そうな顔でペンダントを見ていた。おそらく無理だと諦めているんだろう。
「ありがとう、大切にする」と口を動かそうとしても、唇は震えるばかりで、ラビはペンダントのチェーンを握りしめ息を吐き出すと、顔を上げ、ヒマワリのように笑った。
2012.8.10 LAVI HAPPY BIRTHDAY!
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