今日の教団は、いつになく静かだ。
廊下には誰の姿もなく、それぞれの個室からも、いつもの生活音は聞こえてこない。
皆、今日という日はつかの間の休息を満喫し、心地よい夢の世界に浸っている。
そして、ひどく人間味に欠けたこの部屋にも、ベッドの上に大きな膨らみが一つ――いや、二つ。
不意にもそ、と布団の片方の膨らみが動いた。
それはごそごそとシーツの下を這い、やがて赤銅色の髪が現れる。
目覚ましに頼らず朝を迎えた今年最初の日。
日の出はすっかり見逃したが、窓から差し込む朝日だけでも、十分清々しい気分である。
毛布を少しめくれば、すぐに彼の黒髪が見えた。
前髪を指で軽くわけてやると、まるで女子のようにきめ細やかな肌が姿を現し、やがて彼の二つの瞼が揃う(起きる気配はまだない)。そのまましばらく何もせずに、ラビはひたすら彼の寝顔を眺めていた。
新年を大好きな神田と(しかも彼の部屋で、ふたりっきりで!)迎えることが出来るなんて、今年はなんて幸先が良いのだろう。運良く二人ともギリギリになって任務を終わらせて本部に帰還することが出来たので、昨夜は豪勢に行われた年越しパーティーにも二人で参加した。この教団では冬の長期休暇など存在しない。だからこそ、科学班の面々はここぞとばかりにアルコールに手を出し、その結果、パーティーの終盤は床に倒れた人の山で足の踏み場がなかったくらいだ。
結局、それらをそのまま放置していくわけにもいかず、シラフだったユウとマリの3人で――なぜこの3人かというと、リナリーは自らのお肌の健康のために早々に部屋にお帰りになり、アレンと言えば、いつもの大きな食事に加えて、皆の食べ残した食事を“もったいないから”と全て平らげ科学班と盛り上がった結果、彼らと同じく廃人になってしまっていた――彼らを介抱するはめになり、数時間前にやっとこの部屋に帰還して、今に至る、というわけである。
さて……、と、ラビは枕元に忍ばせた袋をこっそりと取り出した。
ラビには今日、今年一発目の、大いなる野望がある。
それは……今この手に持っているもの――すなわち、黒く大きなうさ耳を、神田に装着してもらうこと。
なんでもこの間読んだ文献によれば、極東の国・日本では「ミト」という文化があるらしく、今年は記念すべきウサギ年だというのだ。
(そりゃもう、最大限に活用させてもらうしかないっしょ!)
なんたって、普通じゃユウがつけるのを許してくれるわけがない(その前に処刑だ)。
けれど、今までさりげなく何度かトライして、毎回無惨な結果に終わったこの野望――健全な男子ならきっと全世界共通であろう、この大いなる野望も、今回ならうまくいきそうな気がする、という希望が、ラビを下町までうさ耳を忍んで買いに行かせたのである。
そういうわけで、ラビが嫌がるユウをなんとか丸め込んで彼の部屋に居残ったのも、そういう理由があったからだった。
つまり今、慣れない夜更かしをしたおかげでいつもより深く眠っているこの瞬間が、彼に耳を装着させる一番の好機だと見たわけである。
(おれってばマジ賢い!)
さて……ラビのうさ耳大作戦、果たしてうまくいくのか!?
***
起こさないように、そーっと、そーっと。
うさ耳を持つ両手が震える。けれど、これ以上震えたら、振動が伝わってきっと起きてしまう!
まるでどこか間違えたら爆発しそうな劇物を扱う爆発処理班の気持ちで、ラビの瞳も自然と戦場にいるときのそれと同化し、そして――
ラビは目の前の光景に呼吸が止まりそうだった。
(・・・やばい、)
めっちゃかわいい!
それと同時に、すごい、イケナイことしてる気分がする。
ラビは目を逸らすことすらもったいなくて、最早ひたすら見つめることしかできなかった。
ふと、ユウの瞼が微かに震える。
「あ、・・・」
彼の両目はゆっくりと開いていったが、しかし様子がどこかおかしい。
10代のいたずら心で、彼の様子を見守ってみる。
神田はどうやら、変な時間に起きたせいで寝ぼけているらしい。ぐしぐしと目をこすっている、その攻撃力たるや、殺人級である。
なにせ、彼の頭の上には、黒い耳が鎮座しているのだから!
そうやって、ラビが目の前の大事件につばを飲み込んでいる間に、神田はむくりと起きあがった。
そのままいつものように髪を結おうとして、ようやっと彼の顔に異変が走った。
「ん、……ん!?」
けれどまだ寝ぼけているのか、顔が険しくなるどころか目が丸くなっているところからすると、まだ「つけ耳」だとは気づいていないようである。
またとないチャンスに、自称・演技派のラビはわざとらしくこう言ってのけた。
「ユウちゃん、日本では今年はうさぎ年らしいよ。うさぎ年だから、ユウもうさぎになっちゃったみたいだね!」
ラビの明るい声に神田はますます混乱を極めたようだった。
「み、オレに、耳!?」
しきりに本来の人間の耳と、“新しく生えてしまった”うさ耳を交互に触っては目を白黒させる神田に、ラビはとうとう大きく音を立てて吹き出した。
そこからはもう、いつものてんやわんやであった。
ベッドの上で腹をよじらせて笑っているラビを、神田がものすごい形相で羽交い締めにして問いつめる。
「テメ、騙したな!?」
「だ、だって、本気で信じるんだも、言えないさ!」
「テメェなんか新年迎えなきゃ良かったんだ! この野郎!」
隣の部屋にも聞こえそうな声で未だ笑い続けるラビがうまく神田の拘束から逃れると、怒り心頭の神田によって枕のスパイクが決まった。
やがて始まった枕ドッヂボールのけたたましい騒音に彼らの騒ぎ声が、隣の部屋の住人を苦しめたとか、しないとか。
「ユウッあけましておめでとー!!」
「あぁ!? なんだって!?」
「今年もよろしくーー!!」
「うっせぇ!」
「いったぁ!!」
「あっはは! ざまみろー!」
end 2011.1.2
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